先日、織田淳太郎『知的障害者施設 潜入記』(2025)を読む機会を得ました。ジャーナリストである著者が、とある営利型法人が運営する生活介護事業所に運転手兼生活支援員として入職した2年間をルポルタージュしたものです。結論から言うとなかなかの良書で、管理職、職員、ヘルパーのみなさんにも役立つ内容と思いますのでお薦めしたいのですが、まずは私が読んで感想と気づいたことを述べたい思います。少しお付き合い下されば幸いです。
タイトルには、「潜入記」とありますが、秘密裏に取材したものではなく、ふとした契機で働くことになりその結果「ひどい内実を知ってしまった」ことが、執筆動機となったものです。
その何が「ひどい」かなのですが、例えば事件になるような深刻な虐待、物理的暴力が行使されたのなら、この作業所はとっくに当局の世話になり、メディアもにぎわすことになったのでしょうが、そうではありません。もちろん暴力が利用者にふるわれた記述もあるのですが、著者が問題として重視したのは、そういう露骨な暴力だけではなく、「利用者のため」を口実とした、「管理」の「暴力」です。それを著者は「懲罰主義」と指摘します。利用者たちがささやかな自由を求めるいわば「個性の横溢」、それを事業者側が認めず、「秩序」を乱すものとしてのみ解し、それをコントロールしようと「躾」や「監視」「管理」を重視する運営をもって臨みます。それが懲罰主義を生み出すというのです。 例えばゴミや物の収集癖のある利用者がいます。そのことに関して本人の人格を否定する頭ごなしの「説教」が、利用者より年下の職員によって公然と就業中に行なわれます。「おれは余計な言い訳、聞きたくないの。自分でさんざん家族に迷惑かけてきたのに、責任を他人に転嫁する奴に誰一人として良い人間はいない。おれはそういう人間の肩を持ちたくないんだよ!」
収集癖が簡単に直らず、家族にも悪態をついたからと言って、その状況を「傾聴」し「寄り添い」共に解決していこうとする姿勢を示さず、このように言い放つのです。加えて事業所は「収集」を徹底して阻止するように職員たちに言い渡します。以後たった一枚のチラシを手にすることもできなくなり、利用者の文字を読む楽しみを奪います。
また、作業所系列下のグループホームでは、女性世話人による身体的・心理的虐待も記述されています。
中度の発達遅滞で緘黙症を抱えるある女性利用者に対して、「自立を促すため」介助はタブーになっており、しかも、「30分以内に食べ終わらなければ食膳を下げる」という制約まで課せられています。しかし、その利用者は、職員たちから「自分でできるのにやろうとはしない」「ずるいから嫌い」「甘えているだけ」という一方的な評価がなされ、朝礼の訓示では、「彼女は駆け引きするところがあるので、くれぐれも気をつけてください。甘えさせないように、厳しく接してください」これまた短絡的な父権的支援が指示され、それがまたあらたな「虐待」を引き起こす要因ともなっているのです。
本書ではその他様々な「管理」を名目とした「懲罰主義」=「虐待」の数々が日常茶飯に行なわれていることが詳細に述べられています。
では、何が「虐待」を生むかということですが、一つは作業所、グループホームの運営に流れる「パターナリズム(父権主義)」にあります。改めてパターナリズムの定義を確認すると以下のようになります。
【パターナリズム】
強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり、干渉したりすることである。日本語では家父長主義、父権主義などと訳される(*1)。
このパターナリズムが、「躾」「監視」「管理」を柱とした本書で描かれている事業所の運営を貫いていることが、「虐待」に繋がっているのです。それが社会福祉の原典ともいうべき「ノーマライゼーション」(*2)とは真逆の考えであることはいうまでもないでしょう。
しかし、この事業所も設立時からそうであったわけではなりません。有意な職員がいた時代は、利用者たちも自由で穏やかな時間を過ごしていました。ところが、それら職員たちが一人減り二人減り、代わりに入ってきた職員がパターナリズムをふるいだすようになってから、作業所は地獄と化していきます。
しかし不適切な「虐待」を繰り返す職員は、何も特別に性格に偏りがあるわけでもありません。むしろ任務に過剰に適応的であろうとし、ルールの墨守や秩序の維持ばかりに意識が向けられ、生身の人間相手の仕事であることを忘れてしまうのかもしれません。
なぜそうなってしまうのか、その答えの一つとして、心理学用語(*3)でいうところの「転移」「逆転移」があるのではないかと本書では述べられています。簡単に言いますと、転移は、援助対象者(利用者)自身が抱く過去の重要な人物との感情を軸とした人間関係の再現です。例えば「怖い父親」との関係が過去にその援助対象者にあれば、現時点での「父親」的な人物(職員)に同じような怖さや苦手意識を感じたりすることです。「逆転移」の方は、援助対象者ではなく支援者(職員)が同様の感情体験を抱くものです。良きにつけ悪しきにつけ、援助対象者を嫌ったり好んだりする体験です。それは援助者の中立性を損なわせ業務の遂行に支障をきたすものです。福祉現場という現場では後者が重要な問題になることはいうまでもありません。
ではそれを防ぐにはどうすればよいでしょうか。まず当たり前のことですが自分を客観的に把握することが第一です。鏡で自分の姿を見るように自分に問い掛けることです。
「本当に自分のしていることは利用者の役に立っているのか」
「この利用者に自分はふだんは感じない感情を感じているのではないか」などと問うてみることです。しかし自分の心の奥底は自分でもなかなか掴みにくいものです。そこで同僚なり上司に問うてみることも必要になります。客観性を他人に求めるのです。
「自分は、あの利用者と接するとこう感じてしまうんだがあなたはどう思いますか」
「自分のこの利用者への対応は適切だったかどうか率直に意見が欲しい」すると、様々な意見が返ってくるはずです。
「あなたのあの利用者への対応はいつものあなたとは違うね」
「あなたは、少しあの利用者には感情的になっている」
「あなたの対応、判断は適切なように思う」と率直にアドバイスなり示唆を得ることができるでしょう。しかしこれには同僚なり上司と素直に意見を交わし合える関係が築かれていなければ成立しない話です。もし、そういう関係が築けていないのなら、なるだけ早いうちに関係を築くようにして欲しいです。でなければ、あなたの業務はあなた一人の判断で行なってしまっている危険性があるからです。本書に記されたような「虐待」まで行かずとも、利用者のニーズに応えたものとなっていない可能性があるのです。
そういった互いが互いを支え合い助け合う相互扶助的関係があって初めて成立するのがわれわれの日々の業務ではないでしょうか。その上で初めて「管理」でない、パターナリズムでない、真に「利用者のため」の仕事を行なえると思うのです。
本書で描かれている作業所は、本法人の実情とは異なるものです。しかし、それに油断や慢心が生まればいつそんな機能しない組織に転落してしまうかわかりません。常に「利用者のため」に仕事をしているか、話し合い磨き合う個々人のプロフェッショナルな集まりであって欲しいと願っています。
長々と拙文に付き合っていただきありがとうございました。
以上
【注】
(*1) カンゴルー用語辞典
(*2) ノーマライゼーションnormalization
「障害のある人が障害のない人と同等に生活し、ともにいきいきと活動できる社会を目指す」という理念。
(厚生労働省)
(*3) 正確にはフロイトの創始した精神分析の概念である。